この時期になると、ノートルダムから封書が届く。 同窓会の案内だ。 儀礼的に「欠席」として出しておけばいいのに、なぜか構えてします。 2年前、同窓会へ行ったときに、ノートルダムへの偏見は断ち切ったつもりなのに、まだ切れていなかった。 中大からくるものは、心躍らせて封を開ける。在校生や卒業生の活躍が心から嬉しい。 それなのにノートルダムのを開けるのは勇気がいる。 卒業生の活躍を素直に凝視することができない。 今年は同期生が、たいへん活躍している様子が書かれていた。 同期生のように活躍したいのか? いやそうではない。 何なんだろう? わたしのなかのこだわりは消えていない。 どうしてもノートルダムを卒業したことを消したかった。上書きしたかった。それが中大への編入動機。 中大をいろいろなことがありながら、卒業にこぎつけたのも、ノートルダムを消したかったから。 なんでこんなにこだわるのだろう。 このこだわりは愛着の裏返しであろうか。 わからない。 でもやはり素直になれない自分がいる。
わたしはノートルダムを越えられるのだろうか。 いつまで拘っているのだろうか。 |
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