あまり期待していなかった。 どーせ、芸能人ではないの、という揶揄した感覚で、まぁ、仕方なく行ったという感じ。 でも、期待を裏切ってくれた。 「どうせ芸能人」ではなく「さすが芸能人」だった。 美しい。47歳とは、とても思えない。ピンクのスーツがとっても似合っている。 「どうせ芸能人」であっても、一見の価値は十分にある。
講演内容もよかった。 上の姉2人が、美しい姉、勉強ができる姉、そのような姉をもってとても窮屈だったこと。 自分に目がむけられない辛さ。自分のなかで閉塞しているけれども、ボランティア活動で、自分以外のものに目を向けることによって、自分に余裕ができて、自分がみえるようになってきたこと。 これは、日常のいろいろなことに当てはまると思った。 たいてい塞ぎこんでいるときというのは、余裕がないときだ。そういうときは、自分に目をむけるのでなく、外へ目をむけるということ。 そして、スーダンかエチオピアに行ったときのこと。 最初は、子どもたちを、一瞬避けたということ。 そのあと歌などを通じて、心が通って、「自分はこの子たちと一緒に死んでもいい」と思えたとき、自分の存在が確認できたらしい。 自分の存在というのは、自分で規定するのではなく、他者によって規定されるということ。やっぱり「自分だけの花」は、他の花の存在抜きには、ありえないらしい。 |
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