男だから、女だからということを意識して言わないようにしているが、女の嫉妬と言ったほうがわかりやすいこともあるので、そういうときは使っている。また、そんなことが起こったようだ。 敵を作ってしまう、というのも弱点のひとつだけれども、でも、それが嫉妬ゆえの敵だとすると、それってどうしようもないんよね。 何年か同じ立場にいた人がいて、その人はわたしのことがとっても嫌い。もっともわたしも大嫌いなんだけど。というか相手が嫌いだからわたしが嫌いになったのかもしれないけど、とにかくわたしは大嫌い。何が嫌いって、顔が大嫌い。人の好き嫌いは、顔の好き嫌いと一致していると思っているから。 わたしの嫌いな顔は、おとこ顔というかこわい顔。顔がこわい人は、そういう人生を送ってきたひとだと思っている。そういう人には笑顔がない。その人はおとこ顔ってわけではないけど、ものに例えると、、、、これを言ったらひんしゅくなので、ここには書かないことにします。もし知りたい人は、メールください。 こんなふうに仲の悪い人を作ってしまうのはよくないけど、でも、相手がわたしのこと嫌いやから仕方なくって。 それでその人が書いた文書(意見)をみて、今日、びっくり。それって、きっとわたしを意識しているのよね。個人の妬みを、組織にもっていくって、ひどいと思う。 でも、ぜったいに反論しない。 自分で反論しなくても、正しい判断は、まわりの人がするから。自分を信じて、まわりの人を信じていればいいのだと思う。 人に嫌われるのは、わたしの弱点かもしれないけれど、だからといって、自分の考えを曲げたり、相手にこびたりはしたくない。 そんなことをしても、相手には見透かされるだけだから。 すなおにまっさらに、いたいと思う。 |
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