4人のメンバーと焼津へ。初めてあう人ひとり、2度目のひとひとり、同僚がひとり。 静岡駅から会場に地図をみて行こうとすると、地上では道路が横断できず、また地下に出ないといけなかった。 他の同行の人についていくというのを避けて、自分たちで行こうとした結果、ちょっと無駄足になってしまった。 そういう細かいことが、旅では困る。
今日は前半は、全体の大きなイベント。 後半はコープしずおかにて交流会。 交流会では、各地域で一巡してというのに、7割終わったところで、「交流」が始まってしまった。 司会進行の人、ちゃんとやってよと思ったけど、流れるまま。 時間はあと10分。このまま終わってしまいそうだったので、話の間に入って、「すみません、話のコシをおるようですが、落ち着かないの発言させてください」と入っていった。それまでの盛り上がりを鎮めてしまったけど、わたしのあとに4人、まだ発言していない人が発言した。 この分野の活動のイヤなところは、「自分たちは〜」というトーンが強いことだと思う。 そうしていると、となりの部屋から聞き覚えのある声。 もしかして、となりであの人やっているのかと思ったら、案の定、そうだった。 静岡から焼津へ移動する車中で、となりの部屋の人に「京都の人が長く発言して〜」と、わたしが京都の者だと知らずに不快感を言われた。 わたしは冗談っぽく「すみません、わたしもこまってるんですぅ」と言ったけど、ええ加減にしてほしかった。 あんたのせいで京都のイメージ悪くなるんやから。 これはかなり対策要。帰ってMgに言おう。
全体会で、プロの朗読の方が憲法の前文と9条を朗読するという企画があった。 憲法全文も9条も言葉にひびきはいい。 でも、それを朗読する様子は、「声に出してよみたい日本語」と同じで、言葉のひびき、リズムに酔っているだけで、それを言葉に発することで、今の状況を変えられるとは思えないし、かえってノーテンキにみえる。 憲法がどんなふうに今、解釈されているのか、そういう現実をみずに、「憲法9条を大切にしよう」と言ったって虚しいだけだ。
もうひとつの問いかけが「平和ってなんですか?」ということ。 これはよかった。 ある人(年配の女性)が、「平和、難しい。幸せとどう違うのか」と。 そう、幸せと平和を混同して考えていると思う。 人は幸せになりたいと思っているけど、平和になりたいと思っているのか。 「平和」を考えるとき、「幸せ」と棲み分けて考えないといけないと思う。 大きな収穫。今後のテーマにしよう。
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