今日、何度、涙を流しただろう。 明石へ向う電車のなかで、25年前のことを思い出していた。 あの時負けて、とっても辛かった。 それに追い討ちをかけるように、相手チームの応援団が歓喜していた。 まだ、そういうことを受け止められない年齢だったから、とっても悲しかった。
でも、その悲しみが、わたしが今、スポーツについて書くときの原点になっている。 勝負事だから、必ず敗者が存在する。 敗者の親が読んでも納得できる内容でなければならないと思っている。 決して、持ち上げるのではなく、育てていくこと。 わたしに求められていることだ。
市尼、決勝戦で負ける。 勝機はあった。 それをモノにできなかった。 彼らが甲子園で活躍する姿をみたかった。
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