昨日の日記に歴史的な日になるのかと書いた。 歴史的とは、書きすぎ。節目とかその程度かもしれない。 でも、歴史的と書くだけの理由はある。 あった、という過去形かもしれないけれど。 歴史的でもなんでもないのに、そうういうふうに書いているだけでもある。
自分がこの日をどう迎えるのかを書いたのは、7年くらい前だと思う。 その1年前に、自分の身体を不自然に傷つけてそのときの見た血への嫌悪感。その嫌悪感を1年後に「鮮血」という作品で表現した。 そのときに、次はどうしているだろうと書いたはず。
次はどうしたいのか、明確にしていたつもりだけれども、結局、同じ選択をした。 またあのときのような嫌悪感をもつのかと思うとイヤになったけど、今回は不思議とそれがなかった。 慣れ、諦めでないことを願う。
8年前と今。 やっていることは同じだけど、今はそれが受け入れられているのかもしれない。 それがいいのか、悪いのかわからない。 悪くならないようにすればいいのか。 |
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