わたしが取り仕切る作業ももう5年くらいかなぁ。 ようやく、どうすればトラブルなくできるかわかってきた。 それも、年報がしばらく続く見通しがあるからやれることだと思う。 どういう行動にも精神的な部分が大きいと、最近、とくに思うようになった。 たぶんトシのせいだと思う。
11月23日の日記に補足として書いたけれども、あの内容に対して、何通かメールがきている。
わたしにとって掲示板は「読んでもらうもの」、日記は「語るもの」と捉えている。 わたしが語ることを、どう読んでもらってもかまわないから、このタイプの日記帳をレンタルしている。 「楽天」をはじめ、その手の日記帳なら、カウンタがついているだけではなく、だれが訪れたのかIPまで知ることができる。 わたしは、そういう訪問を意識したことを日記では書きたくないから、だれが読んでいるのかまったくわからないこの日記帳に書いている。 それでも、webに公開する以上、誰が読んでいるかわからないのだから、内容に注意しないといけないことは配慮しているつもりだ。 それでも、ときどき「しまったー」ということがある。 そのときは、自分がどういう思いだったのか丁寧に説明することにしている。 そうやってひとつひとつ対応することで、いろいろなことが身についてくるのかもしれない。
ネットでのつながりは独特だ。 「いい人」を演じなければならないような気がしてる。 でも、ネットには危険もある。 わたしなどかなり無防備だ。 オフで人に逢ったりするときも、たいがいがラン仲間、スポーツ観戦仲間だから、基本的に性善説で大丈夫だけれども、でも、わたしに何かあるだけならまだしも、わたしに何かあったために、家族に何かあるようなことは避けたいと思っている。 だからそういうときは「いい人」は演じない。
掲示板で「いい人」を演じていて、とっても苦しくなることがある。 わたしは、決してそんな「いい人」ではない。 そのバランスをこの日記でとっているような気もしている。
「日記読んでいます」と、ときどきカムアウトしてくださる方がいる。 そういう人の目を、少し意識してしまうときもあるけど、基本的には、わたしの「語り」の場と思っています。 もちろん、感想を掲示板に書いてもらっても全然、平気です。 それにしてもなぁ、そんなに気になるかなぁ。
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