このところいろいろなことに「落選」している。 実力が足りないものもあれば、そもそも形式的な公募ではと思えるようなものもあるし、単に先着順にもれてしまったというものもある。 特別、気にするようなことではないけど、でも、あまり気持ちのいいものではない。
学生のときは、どんな小さなテストでも、「できない」ということが絶対にイヤで、必死で暗記をしたりしていた。 大学のとき、英文タイプを習っていて、教室内での試験にパスしなかったとき、悔しくて悔しくてどうしようもなかったことがある。 それくらい目先にあることはクリアしていかないと気のすまないタチやったのに、最近は、あまりそういうことを思わなくなった。 単純に自分の努力が足りないということならば、悔しい思いもするけれども、それだけではない場合もある。 公募の場合、住んでいるところや年齢も関係してくると思うと、別にねという思いがある。
選ぶほうからすれば当然のことかもしれない。 その人の能力プラスいろいろな条件を加味して選んでいく。 いろいろな条件を越えるような能力をもっていれば、別なのかもしれない。 自分の能力を過信しているわけでもないし、まだまだ努力が足りないことはわかっている。 でも、単純に「能力」を評価して選んでもらうほうが、選ばれるほうからすれば、とっても理にかなっているのだ。
大学の入試でも、AO他、いろいろな選択肢を設けている。 いいことかもしれないけど、恣意的な要素が入りやすい。 そういうのって、選択され排除されるほうからしたら不合理だ。
でも、世の中は不合理なのだ。 単純に学力、能力で評価しないのだ。 だから、頑張れば少し上の立場にいれた学生時代は、居心地がよかったのだと思う。 ただし、中大では全然、全く勉強についていけなかったから、ここでの居心地は最悪だった。 |
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