論理的に科学的にというのが好きなのですが、わたしがいるのは「情」の世界。いくら論理的でも情がついていかなければ、ダメなものはダメらしいのです。
今日は遺伝子組換え技術についての学習会と意見交換会だった。 とかく「情」で語られる遺伝子組換え技術について、科学者が、整理しながら対応するのは、なかなかええ感じでした。 質問者が何を問題にしているのかを、まず特定してそれに対して応えていくというやり方。 これができそうでなかなかできない。 それを見事にやってのけるのだから、すごいったらありゃしない。 そのうち質問者のほうが、食糧自給率やイラク派兵をもちだして、さらに大きな話にしてしまうしかなかった。 遺伝子組換え食品の安全性について考えているとうのに、なぜそれが国家論になるのか、とっても不思議。 ついていけないことが多すぎる。
さて、帰りのエレベーターで。 同じ会議に出ていた先客2人のうち1人がエレベーターの外でだれかと話しをしていて、先客1人がエレベーターに乗っている状態。 そこへわたしが乗ったら、当然のことながら、エレベーターを動かしてくれると思ったら、動かしてくれない。 外でしゃべっている人を待っている。 なんでわたしも一緒に待たないといけないのと思いつつ、エレベーターを動かせるのは、先客のほう。 仕方なしに待っていたけど、でも、なぜ、わたしが待たないといけないのと、不機嫌になっていました。 しばらくして、エレベーターに乗り込んできた張本人。 一言、「お待たせしてすみません」でも言えばいいのに、何も挨拶なし。 自分を中心に世の中が回っていると思っているのでしょう。 自分の行動ですら、まわりに配慮できない人が、どれくらい食の安全を訴えても、国家論をいおうと、わたしは絶対に信用しないと、あたらめて思いました。 |
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