代休などが重なって、3週間ぶりのライトハウスへのボランティアだった。 3月の準備から5月に始まって、半年を過ぎて少しは慣れてきたのかもしれない。 ボランティアということに対する認識も自分のなかで随分と変わってきた。
ボランティアというと、弱い人を助けるというイメージをもちがちですが、そういう場合だけとは限りません。 わたしが今やっている、視覚障害者や高齢者のサポートは、弱者へのサポートという面はもっています。 でも、町内会の役員をやっているのも、地域のためのボランティア。 それから走ることでいえば、練習会を企画するのも、自発的なボランティア。 営利を目的としないでする活動はとっても幅が広い。
それでも、やはりどうしても弱い人のためという面は残ってしまう。 わたしのボランティアだって、そういう面が両方ともあるから。 でも、視覚障害者と接していても彼らが弱者であるという認識はあまりない。 視力という点で、わたしはちょっと便利な立場にいてるというくらい。 ハンディという感覚もない。
でも、ボランティアを続けるというのは、それなりに大変なことで、なぜやるのかということをはっきりさせておかないとできない。 ライトハウスへ行く日は、その日の予定は確実に確保して、ボランティアだからちょっとくらいかまわないという気持ちはまったくもっていない。 それに、わたしはこれまで、いろいろな活動をするのに、交通費をもらって活動していたけど、今やっているボランティアは、そういう補助はなくて、自分で負担している。 ライトハウスへ行くのは、それなりに交通費はかかっているけど、でも、予定をあけて、そして交通費を払ってでも、わたしはライトハウスで得るものはたくさんあるので、続けていきたいと思っている。
大学生が大学に入る前にボランティアを経験させたらと、そんなことを言っている人もあるらしいが、そういう人は、一度、自分でボランティアをしてみたらと思う。 義務づけた時点で、ボランティアでないからね。 自発的に人のためになにかやりたいと思う心は、そう簡単にだれにでも宿っているものではない。 そう思えるためには、それなりの社会経験が必要だと思う。 |
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