前々から書き残しておこうと思いながら、書いていなかったことがある。 「アニメオウム真理教」というのを見ていて、それを作った人がどうしても「アニメ」にできないといっていたことだ。 サリンで父親を亡くした娘が、被告の井上に言う言葉。 井上はたしか京都出身だと思う。 高校生のときから、現実社会に否定的で「理想」を求めていたらしい。 当時、作った詩には、「疲れたサラリーマンにはなりたくない、理想は、、、」という言葉があったらしい。 それを知った被害者の娘が、 「疲れたサラリーマンになりたくないって、みんなそうして生きてるんじゃないか。理想? 真理? そんなものなくても、わたしたちは幸せだった。」 という主旨の発言をしたというところだった。 「理想なんかなくても幸せだった」。 たしかにそうかもしれない。 わたしは、どちらかといと、夢や目的をもつことを大切に思っていて、あまりそういうことを考えない人をよく思っていない。 今でも夢も目的ももっている。 それがあるから幸せだという部分もある。 わたしがオウム真理教の信者や統一教会の信者を、とっても嫌いつつも、どこかで気になっているのは、わたしだった1歩間違えば、その道にすすんでいたかもしれないという、そういうところがあるからだと思う。 わたしはたまたま運よく、そういうところに入り込まなかっただけなのだと思っている。
「理想なんかなくても幸せ」。 わたしは、今、ようやくこれがどういうことなのかわかってきたような気がする。 夢や理想とかでなく、日常のひとつひとつのこと、それが幸せなんだと思う。 それは、「まぁええわ」というあきらめではなくて、もっと前向きなものだと思うけど、でも、わたしには、まだそれがどういうことなのか、よくわかっていない。 むずかしいねぇ、いきるって。 |
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