福井のテレビ局で仕事をする中国人女性が、日本人男性とお見合いして結婚するということについて取材をしている様子を取材するというドキュメントだった。 中国人の目を通してみたものを日本人がみるというもので、その手法も面白かったし、中国人女性が取材を通して、いろいろなことがわかってくる過程もよく描けていた。
わたしも、取材する中国人女性の気持ちに近いものがあった。 やっぱり理解できないというところが。 北京生まれの才媛。日本に留学して、日本の大学を出て、働いている人に、中国の貧しい環境で育った女性が、日本での結婚生活を求めてお見合いをする。 人身売買のようだと、日本人男性、中国人女性とも批判的にみる。 たしかにそう思う。 日本で結婚する相手にめぐり合えない男性と日本人と結婚したい女性。 両者の需要が一致している。 30人の写真から5人を選んで中国でお見合いをする。 そのなかの1人と1ヵ月後には結婚するのだそうだ。 結婚という「共同生活」の利害の一致。 疑問をもった中国人女性。 自分に足りないものを、たいして努力をしないで手に入れようとしているようにみえる。
それが、「もてるもの」のエゴだということに気づきながらも、どうしても受け入れられない。 わたしもそれはよくわかる。 エゴだといわれても、別に自分だって自明のようにもてたわけでもないし、努力だってしている。
努力してもどうしようもないこと、それがあるのかもしれない。 日本人とどうしても結婚できないという男性。 それをあなたの努力が足りないからだと、責められるのだろうか。 そしたらなぜ結婚するのか。結婚しなくてもいいのではないかともいえる。 でも、結婚して自分の家族を持ちたいというのは願望があることも否定できない。
利害で結婚した「共同生活」。 それに違和感をもちつつ、家族って共同生活者よね、ということを、先日、友人と話していた。 かっと燃えるものや嬉しいこと、そんなことがなくても、毎日、そこに暮していて、それが続くということが、嬉しいことではないかと。 そういう気もするけど、うん、なんだかなぁ。 最後の違和感だけはどうしてもぬぐいきれない。 |
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