車いす駅伝のボランティアに行ってきた。 何をするわけでもなく簡単なものだったけど、沿道の人に「ボランティアも大変ですね」と声をかけられた。 わたしは全然、たいへんではないんやけど、そう見えるのかもしれない。 わたしの行動というか活動は、ときには仕事もあるけど、だいたいが見返りのないものやから。 というか、こっちがお金を払ってというのもあるしね。 だから、いろいろなものが支給され、お弁当まで出してもらったら、そんな褒められたことをしているという感覚もない。 こういうふうな気持ちになれたのも、生協で活動してきた賜物やから、それはわたしにとっては財産になっている。 見返りではなく、その行動から何を得るのか、それが大切やと思う。
約束していたボランティアも無事に終わって、お通夜へ。 お通夜そのものは、ひとつのセレモニーみたいなもので、こなさなければならないようなものになっているのが、なんともいえない。 でも、それをこなすのが今の日本の習慣やから仕方ないか。 遺族も悲しんでいるヒマがないというのが、実際のところやと思う。
でも、ママとこういう形でお別れすることになるなんて、思ってもみなかった。 ほとんど病気をしたことがない人という。 自覚のないまま、病気が進行していたのだろう。 母がたぶん心臓か何かの異変で急死して、父はガンでお決まりの10ヶ月の闘病で亡くなって、つい、わたしはどういう命の終わり方をするのだろうと思った。 両親がそういう形でなくなっているので、自分なりには覚悟をしているつもりやけど、でも、そんな覚悟なんか簡単に飛ばされてしまうくらい辛いことなんやと思う。 これからどういうことが起こるかわからないけど、ママの強さに少しは近づけるようになりたいと思う。 |
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