信楽の陶器は、なじみが深かったので、一度、訪れたいと思っていた。 父が健在だった頃、観音竹を育てていて、その鉢の買い付けに行っていたか。 実家にはたぬきの置物もいくつかあるし、庭には陶器の椅子とテーブルがある。 この椅子で庭を眺めながらビールを飲みたいと言っていたのは、八木町のほうの父。 その父の相手を気長にしてくれたのが昆陽のおばあさん。
みんな亡くなってしまったけど、信楽の陶器を通じてそういうことが線でつながって思い出されるのは不思議だ。 モノにはそれぞれ物語があるのだろう。
いろいろな陶器を目の前に、買うものを決めないとキリがなくて、困った。 でも、あれこれ考えながら選ぶのは楽しい。 このカップでコーヒーを入れたらどんな感じあかなぁなど。 うちにはウエッジウッドのカップもあるけど、陶器の温かさとは比にならない。 モノをためこんでも仕方ないけど、いろいろと楽しみたいと思う。
信楽高原鉄道にも乗れたし。 ここで悲惨な事故があったこと。 どんな事故も辛いけど、あの事故の教訓が生かされていなかったことがもっと辛い。 社内風土なんて、そう簡単に変わるものじゃないからね。 |
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